ロンドン食と農の便り(Monthly Report)

ロンドンの食とイギリスの農業について毎月レポートを書きます。

第6回 イギリスの田園風景

英国の首都ロンドンは、新旧の建物がひしめき合い、あらゆる人種が行き交う雑然とした街であるが、ここロンドンから車を郊外へ2時間も走らせれば、景色は一変する。

なだらかな丘を覆う一面の緑と、日がな草を食む羊や牛たち。こののどかな光景こそが、実はイギリスの多くの地域に見られる代表的な田園風景なのだ。

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「田園風景」という言葉は、イギリスの田舎(Countryside)の描写としてよく使われるが、イギリスには田んぼが無いから、放牧地とじゃがいも畑が延々と広がっている光景を「田園」と称するのは若干ミスリーディングな気もする。

いずれにしても、英国の原風景ともいえるこの緑の丘から、私たちは、この国の奥深い歴史を学ぶことができそうなのだ。今回は、その第一歩を踏み出してみようと思う。

 

1.農地を取り囲む垣根

 

車を田舎に進めると、道は徐々に細くなり、対向車がすれ違うのも困難な道幅となってくる。そんな道の両脇には、高さ3メートルもありそうな生け垣が必ずそびえ立っていて、運転手の視界をさらに狭めてくる。

また、農地と農地の境目や、後で説明するフットパスと農地の間に、立派な石垣が組まれていることも多い。

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              (NFU HPより)

これらの 垣根は、農地をぐるりと囲んでいて、遠くからみても農地の境界が一目瞭然となっている。日本と違って一区画の農地面積がだだっ広い(農家1戸当たり農地面積は30倍以上!)から、一つの小高い丘を数枚のブロックに区切っているイメージだ。

垣根は、放牧された羊たちが外へ出ていかないように、部外者が農地に侵入しないように、しっかりと張り巡らされている。生け垣の保全に尽力する団体の情報では、英国内に40万km以上の生け垣があるそうだ。(出典:Hedgelink)

ああ、これがあの、歴史の教科書にむかし出てきた「エンクロージャー」(囲い込み)の結末なのね!などと勝手に感動していたが、なんだかどうも、何千年も前から農地は垣根で囲まれていて、英国の風物詩となってきたらしい。エンクロージャーによって新たに設置された垣根はほんの一部だとのこと。

イギリスの農地は、中世以前は開放耕地制(オープンフィールド)だったとか、16世紀と18世紀のエンクロージャーで多くの農地が囲い込まれたとか、俺に教えたやつ、ちょっとロンドンまで来い!

 

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道路を走っていると、両脇に延々と生け垣やフェンスが続いていて、その向こう側に羊や馬が放牧されているのが見えるわけだが、あるとき、生け垣が突然途切れて、羊さんたちが道路脇にまではみ出している場所に出くわした。

なんだこれ、危ないじゃないか!と思って、なぜここにだけ垣根が無いのか、現地のおじさんに聞いてみた。

”ああ、ここはCommon Land だからね。”

おおおおおっっっ!!これが、あの「コモンズ」なのか!!!

私の感動を皆さんに伝えるのは難しい。私がむかし仕事で携わった「入会地」。日本の学者先生たちが好んで議論したがる「コモンズ」。それがいま、俺の目の前に広がっている!

すこし解説すると、コモンランド/コモンズ、日本語でいう入会地(いりあいち)とは、村人たちが共同で管理し、それぞれが自由に出入りして、英国であれば勝手に羊の放牧をしていい場所。日本ならシイタケや薪を取っていい場所をいいます。かなり古いデータだが、1989年時点で136万エーカー(54万ha)も残っているらしい。

単に勝手に入っていいよ、と言うだけでなく、それが村人たちの「権利」として確立しているところに、社会の成り立ちの複雑さが見え隠れする...

やっぱりうまく伝えられないや。今回のレポートは、羊さんたちが道路脇まではみ出してきていて、運転しているとヒヤリとする場所がある、というところまで。その先の解説は、私がもっと勉強してからご報告します。

 

2.フットパス

イギリス人はウォーキングが大好きだという話をよく聞く。田舎に行くと、たしかに必ずといっていいほどフットパス(遊歩道)が整備されている。

「遊歩道なんて、日本にもいっぱい整備されているよ」

いやいや、ここが違うんだな。「整備されている」というが、イギリスのフットパスは実はあんまり整備されていない。なになに、何言ってるの??

日本で遊歩道といえば、歩道がコンクリで固められて、両側を安全柵が囲んでいて、ところどころにベンチやら観光案内やらが置かれているイメージだが、英国のフットパスは、林の中の自然に踏み固められた獣道みたいなもの。たまに迷子にならない程度に、ドングリマークの標識が出ているくらい。

なんだ、そんなもんか。とガッカリしないでいただきたい。何の珍しさもないように見えるこの獣道みたいなものから、イギリスの社会と歴史が垣間見えてくるのだ。

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下の写真をご覧いただきたい。フットパスを遮るように柵が設置されている。そう、この柵の向こう側は私有地なのだ。

フットパスの多くは、私有地を次々と横切って伸びている。だから、次の私有地に入るところには柵があって、頑丈なカギが掛けられている。何者かが柵を開けて羊を逃がしたりしないようにするためだ。

一方で、この柵には、フットパスを歩く人々が通り抜けられる工夫が施されている。2枚目の写真は、ロックをカチッと開けると扉が小さく開いて、すぐにまた元通りにロックされる仕組みだ。3枚目は、踏み台を登って柵をヒョイっと越えることができるようになっている。 

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なぜこんなに面倒な柵を作るのか。それは、フットパスが、市民の歩く「権利」を実現するために整備されているからだ。

誰だって、自分の土地に他人が入ってくるのは嫌だ。そのせいで、自分の持っている羊が逃げてしまうなんてもってのほかだ。しかし、地主たちは、長年にわたる権利闘争によって市民が得た「歩く権利」を保障しなければならない。その利害のせめぎ合いの結果が、こんなに奇妙複雑な柵の形状に表れているのだ。

 

コモンランドといい、フットパスといい、のどかな田園風景からは想像し難い、長い歴史と権利調整の過程が刻み込まれている。英国の土地を巡る長い歴史をたどる旅は、まだ始まったばかりだ。