第14回 緑茶とグリーンティのあいだ
紅茶の国イギリスで、緑茶が流行っている。健康にいい"Super Food"などともてはやされている。TESCOの大規模郊外店では、お茶コーナーが棚5段分に広がっているが、そのうちの1段を緑茶が占拠していた。
そんなに緑茶が人気なのか。日本の誇るお茶の文化がイギリスにも受け入れられつつあるのだな。と思いながら、製品をひとつ手にとった。
TwiningsのGreen Tea Lemon & Ginger。日本ではお目にかからない風味だ。
裏面を見る。”Zhejiang (浙江省)、Jiangxi (江西省) 、Anhui (安徽省)で摘んだ茶葉を使っています”と書いてある。中国茶だ。
試しに一箱購入して淹れてみた。オレンジの水色と、強烈なレモンの香り。日本の誇る緑茶文化はいずこへ??
いや、ちょっと待て。
イギリスの緑茶ブームは、果たして日本が発信源なのか?頭の中に疑問符が沸いてきた。
いったいいつから、イギリスは緑茶を知っているのだろうか。「英国は紅茶の国、日本は緑茶の国、中国は烏龍茶の国」という常識は世界共通なのか。ほんとうに昔から常識だったのか。
私は、イギリスと緑茶の出会いを遡る旅に出ることにした。
1.Twinings
手始めに、手に取ったこの緑茶の起源を探してみる。Twinings本店は、ロンドンの二大中心地、WestminsterとCityを結ぶStrand通りの真ん中にある。
さて、Twiningsの店はどれでしょう?⇒⇒
⇒⇒正解はこちら。
Twiningsの創業は1706年。裁判所の正面に位置するこの地に、当時から店を構えていたという。300年以上、同じ場所でお茶を売り続けてきたわけだ。
Twiningsの創始者、Thomas Twiningさん。
店の中は異様に狭い。両手を伸ばすと左右の壁に届くくらい。壁沿いに製品が陳列されていて、店の奥は試飲コーナーと古い広告や文献を並べたミニ博物館になっている。
この店でも、予想外に緑茶が多い。全体の4分の1くらいを占めている。入り口脇にも緑茶が並ぶ。最近の流行に乗って緑茶を置き始めたようには思えない。もしや、昔から売られていたのではなかろうか?
2.お茶の歴史
Twiningsが設立された1706年には、イギリスでどんな風にお茶が飲まれていたのか?
角山栄著「茶の世界史」(中公新書)は、1980年に刊行された古い書籍だが、いまだ多くの示唆に富んでいる。この本を頼りに、イギリスにおけるお茶の歴史を遡っていくことにしたい。
お茶を飲む習慣がイギリスに伝わったのは17世紀。東インド会社がアジアから胡椒などを運んでいた時代だ。世界史の教科書を思い出してみよう。
1657年には、ロンドンのコーヒーハウスでお茶の販売が始まったとある。「英国は紅茶の国」というイメージがもう崩れた。コーヒーとお茶は、ほぼ同時代にイギリスに伝わって、同じように飲まれていたのだ。
さらに衝撃が続く。本書の記述を引用する。
「18世紀はじめには輸入茶の約55%が緑茶で、紅茶は約45%であったのが、その後紅茶の輸入がいちじるしい増加を示し、・・・緑茶と紅茶の地位が逆転してしまうのである。」
なんと!イギリスも昔は緑茶の国だったのだ。イギリス人は、300年も前から緑茶を知っていた。その大半が中国からの輸入だったという事実も看過しがたい。
この時代への想いを馳せるために、場所をすこし移動する。
3.V&A ミュージアム
歴史を勉強したいと思ったら、貴重な資料がすぐに見つかるのがイギリスの凄いところだ。Victoria & Albert Museumには、古い調度品や生活用品が時代の流れに沿って陳列されている。しかも、タダだ!
お目当てのものがさっそく見つかった。
17世紀当時、イギリスでは陶磁器を作る技術がまだ発達していなかったので、アジアから大量の皿やカップを輸入していた。上のカップは、17世紀後半に中国から輸入されたもの。当時の英国の貴族たちは、中国から輸入したカップで、中国から取り寄せた緑茶を飲んでいたのだ。
中国製ばかりではない。上のポットとカップは有田焼だ。当時、日本はオランダとしか貿易をしていなかったから、オランダを経由してイギリスに運ばれてきたのだろう。
上のカップに取っ手が無いことにお気づきだろうか。当時、お茶は湯呑を啜るように飲まれていた。この絵のカップにも取っ手が無い。
イギリスで飲まれるお茶が、いかにアジアと深く結びついてきたかがわかってきた。その奥に、緑茶文化を発展させていた日本とのつながりも見え隠れする。
別の機会にOxfordで訪れたAshmolean Museumにも、アジアから運ばれてきたカップが展示されていた。
ここもやっぱりタダだ。
左の写真のカップとソーサーは中国製、その隣の大きなカップは英国製。形から図柄まで、中国製に似せて作られている。右の写真のソーサーは中国製だが、御揃いの図柄のカップがイギリスで作られた。
このカップも取っ手がない。
17~18世紀のイギリス人にとって、アジアは神秘的で興味の尽きない文化に溢れていたようだ。
エキゾチックな風味のする緑茶を楽しんでいたイギリス人が、だんだん紅茶を好むようになり、いつしかそれがイギリス特有の文化となった。そしていまや、Wedgwoodのカップで紅茶を飲むイギリスの生活に、我々が憧れを抱いている。なんだか不思議な構図だ。
4.英国のグリーンティ
ロンドンのV&Aミュージアムに戻ろう。館内を歩き回って疲れてきたので、V&A ミュージアム内のカフェで休憩。ここもまたオシャレな内装で観光客に人気のスポットだ。
お茶の勉強に来た記念にお茶を一杯、とメニューを見上げて、あっ!と声をあげた。
メニューをじっと見つめる。お茶が3種類に分類されているのがわかる。Black teaとGreen teaとInfusion。Green teaのメニューには、オリエンタル煎茶とジャスミン茶。
私はようやく理解した。「グリーンティ=緑茶」と決めつけていた自分が間違っていた。
グリーンティとは、お茶のカテゴリーの名称だ。ワインがレッドとホワイトに分けられるように、ティはブラックとグリーンとインフュージョンに分類される。
緑茶は、水色が濃い緑で、茶葉の香りが立って、喉の奥に少し渋みが残らなければならない、というのは、我々の考える「緑茶」の定義だ。ブラックティが黒色でないように、「グリーンティ」はオレンジ色でもよいし、レモンで香りづけしてもよいし、はちみつの甘味が加わってもよい。「グリーンティ」の定義は、「緑茶」よりもはるかに広い。
5.イギリスのお茶の歴史(ふりかえり)
再び先の本を読み返しつつ、イギリスのお茶の歴史をざっくりと整理してみる。
昔、イギリスには茶葉がなかった。しかし英国人は、ラズベリーやカモミールを煎じたハーブティを飲んでいた。こちらで「インフュージョン」と呼ばれるこれらの飲み物は、茶葉を使わないから本来は「ティ」ではない。そして、こういったインフュージョンを楽しむ英国人の習慣が、その後アジアから伝わる茶の受け入れを容易ならしめていた。
17世紀になってアジア、特に中国から茶葉と陶磁器が大量に輸入されるようになり、お茶はコーヒーとともに大ブームとなった。初めにロンドンで話題となったのは緑茶であり、その後、インドでのお茶の生産なども始まって、紅茶がイギリス中に広く浸透するようになった。
もういちどTESCOの棚をみてほしい。5段あるお茶コーナーは、左から3段がブラックティ、次の1段がグリーンティ、右側の1段がインフュージョンとなっている。イギリス人は、たしかにブラックティがとても大好きだが、グリーンティもインフュージョンも大好きだ。300年の間、こうやっていろいろな種類のお茶を分け隔てなく楽しんできたのだ。
とあるホテルでのアフタヌーンティのメニュー。アールグレーやアッサム茶に混じって、煎茶やインフュージョンが載っている。「アフタヌーンティは紅茶で!」という既成概念を作っているのは我々の方だ。煎茶を楽しみながらスコーンを食べるのだって、立派なアフタヌーンティなのだ。
6.グリーンティの中の日本
翻って、緑茶ブームに沸くイギリスで、日本の緑茶はどのようにみられているのか。
我々の定義する「緑茶」は、グリーンティの一種ではあるけれど、イコールではない。グリーンティが売れているからといって、緑茶が受け入れられているとは限らない。
ロンドンで開催された健康食品の見本市。
世界中から自慢の健康食品が集まる中、あちらこちらのブースで抹茶が展示されているのが目についた。イギリス人のお姉さんがシャカシャカと点ててくれる。
グリーンティの人気が高まる中で、特に抹茶への注目度は高い。抹茶は、あのお点前とセットになったところで、ようやく日本のイメージと結びつくらしい。自然豊かな日本のポスターなども貼られていた。
様々なグリーンティの溢れるイギリスにあって、日本産品を際立たせるには、なんといっても抹茶を主軸に売り込んでいくしかないのではないか。そんなことを考えさせられた一日であった。
ただし、見本市に展示された抹茶の原産地を聞いて回ったら、中国、韓国、台湾との答えが返ってきた。日本のお茶を売り込むのは、かくも難しい。